『この世でいちばん大事な「カネ」の話』読了―①

読みました。



新社会人として働き始める前に読んでおいてよかったなぁと思える本でした。文体としては、おばちゃんに話しかけられているような雰囲気で、内容もスッと入ってきました。とても読みやすいです。学びが多かったので、2回に分けてまとめようかと思っています。今回は第2章あたりまで。

構成


第1章 どん底で息をし、どん底で眠っていた。「カネ」がないって、つまりはそういうことだった。

第2章 自分で「カネ」を稼ぐということは、自由を手に入れるということだった。

第3章 ギャンブル、為替、そして借金。「カネ」を失うことで見えてくるもの。

第4章 自分探しの迷路は、「カネ」という視点を持てば、ぶっちぎれる。

第5章 外に出て行くこと。「カネ」の向こう側へ行こうとすること。

カネがないということ


第1章では、著者の生い立ちについて書かれています。高知の田舎に生まれ、思春期には学校で教わるのとは全然別な世界を知るようになったそうです。向かいのお兄ちゃんがシンナーの吸い過ぎで亡くなったというような話が日常茶飯事だったそうで、著者自身も父親が自殺するなど壮絶な人生を歩んでおられます。そんな学生時代の様々な悲しい体験が、著者のお金に対するスタンスを規定しているように思えます。

お金がないことが人をどれほど追い詰めて、ボロボロにするのか。そのあらゆるパターンを、わたしは見たと思う。


この文章に、「お金の重み」というのが集約されているように思います。お金で幸せは買えないというような話(本書でも言及されています)はよく耳にしますが、こうした話は豊かだからこそ出てくる話であって、貧困である場合はそうも言っていられないということがすごく伝わってきます。

お金がないことに追い詰められると、人は人でなくなっていく。その人本来の自分ではいられなくなって、誰でもなく、自分で自分を崖っぷちまで追い詰めて、最後には命さえ落としてしまうことがある。
貧しさが、そうやってすべてをのみこんでしまうことがある。

「最下位」の戦い方


第2章では著者が高校を退学させられた時の話が語られています。退学云々の件で裁判へとつながるのですが、その中で「裁判では正しいほうが勝つのではなく、お金と権力がある側が、自分たちに有利な方向に事実を曲げる」というような、大人の嫌な部分をしっかりとみたそうです。



そんな中、高校は退学することになったのですが、そこから母親の世間体的な問題意識から大学進学という話になり、行くなら好きな絵をやりたいということで上京、美術専門の予備校に行くことになりました。そこでレベルの差を実感。最下位。壁にぶつかったわけですが、そこで著者は自分を客観視することと、自分の目標は何かをはっきりさせることに専念しました。その上で、出版社にひたすら営業をかけ続け、仕事を増やしていきました。

他人とくらべて、自分の何がちがっていて、どこがどう足りていないのか。それがちゃんと自分でもわかっていないと、その先の展開も、あいまいでなりゆきまかせのものになってしまうからね。どんなことであれ、「客観性を持つ」のは、人がまず自分なりのスタート地点に立つために、とても大切なことだった。

そもそも、わたしの目標は「トップになること」じゃないし、そんなものハナからなれるわけがない。じゃあ、これだけは譲れない、いちばん大切な目標は何か。
「この東京で、絵を描いて食べていくこと」

まずは自分が何を目指したいのかを確認する。そして、自分にいわゆる「才能」というのがないと自覚しているのであれば、まずは自分の現状を把握し、足りない自分でもできることを探し、それを使ってくれるところを探すこと。それが最下位の戦い方だと指摘します。今後働く上でとても参考になりました。

プライドでメシは食えない

「どうしたら夢がかなうか?」って考えると、ぜんぶを諦めてしまいそうになるけど、そうじゃなくって「どうしたらそれで稼げるか?」って考えてみてごらん。
そうすると、必ず、次の一手が見えてくるものなんだよ。
…「いいじゃない。お金にならなくても」ってやってるうちは、現実にうまく着地させられない。それこそ、ふわふわした、ただの夢物語で終わっちゃう。
そうじゃなくて「自分はそれでどうやって稼ぐのか?」を本気で考え出したら、やりたいことが現実に、どんどん、近づいてきた。


なるほど。「やりたいことがある」というのが大前提ではあるけれど、それを夢として見るのではなく、どう稼ぐのか?という視点で考えるとやりたいことがより明確になり、その後の行動にもつながるということですね。



実際、著者自身もエロだろうがなんだろうが、仕事を選ばず、「稼ぐ」というその一点で突っ走っています。これは最下位の戦い方ともつながるところがあります。自分の力は他者より劣ると認識しているからこそ、プライドを捨てることができるし、それが稼ぐことにもつながる。仕事を選ばずがむしゃらに仕事するというのは、いわゆるブラック企業にいいように使われるというような側面と紙一重だと思いますが、この辺りも意識しつつ、今後の参考にしたいところです。



ちょっと長くなったので今回はこれくらいで。後半はまた改めて。


デフレ下の金融政策の議論―リフレ派とリフレ反対派の主張


以前に金融政策の波及過程に関する記事をまとめました。


金融政策の波及過程―ケインジアン・アプローチ - パンダのぼやき
金融政策の波及過程―マネタリスト・アプローチ - パンダのぼやき



今回はこれらを念頭に置きつつ、今日の日本のデフレ*1の解決策として提案・実行されている、リフレ派(≒マネタリスト・アプローチ)とリフレ反対派の主張を整理することにします*2。以下詳細。

リフレ派の主張


とりあえず参考文献の引用(下線は私が加筆)。

デフレ問題に対処するために短期金利の引き下げを続けていった結果(ケインジアン・アプローチ)、実質ゼロの水準に到達した場合でも、「アグレッシブな金融緩和」を行えばデフレから脱却できる。

下記参考文献、203頁。


アグレッシブな金融緩和を簡単にまとめると、以下のようになります。

1、潤沢な準備(リザーブ)を供給して政策金利を極限まで引き下げて、それを維持するという約束(コミットメント)を行うこと。


2、この約束が信頼されるには、そのメッセージが明確である必要がある。つまり、「いつまで、あるいはある条件が満たされるまで」金融緩和を続ける宣言すること。もしくは、インフレターゲットの設定が必要。


3、準備を供給する際には、長期国債、外国債券、株式など、従来の短期の証券以外の資産を買う。これにより、それらの資産の需給バランス、つまりその価格(利回り)を変化させることができる。この価格変化は相互に影響を与え、その一環として円安も進むはず。


1、は文字通り約束が重要だということです。2、はまさにアベノミクスの一環として新聞でもよく言われていた「2%物価目標」*3というやつで、インフレターゲットのことを指します。


3、については以下の図を思い起こしていただければと思います。



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リフレ反対派の主張


次にリフレ反対派の主張について。反対派の言い分にも色々あるわけですが、先に結論から述べておくと、リフレ反対派は、リフレ派の政策(大規模な金融緩和)の実施とその効果自体を完全否定しているわけではありません。否定しているわけではないけれど、こうした政策に潜むリスクや副作用のほうを強調するため、リフレ政策を反対しているのです。



では、そのリスクや副作用とは何か?それが以下。


1、マネタリーベースの拡大が、金融政策に関するメッセージを伝えるのに役立つと市場参加者が思えば、仮にそれが錯覚だとしても何らかの効果はあり得る。しかし、それはひとえに期待に依存するので不確実性が大きく、政策効果が一定でない。


2、経済主体の予想は気まぐれに変動し、バブルを生み出す可能性がある。経済主体の予想や行動は、政策担当者の意図したように簡単に誘導できるわけではない。


3、民間に資金需要がなく、かつ法定準備をはるかに上回る準備が供給されている状況で、さらなる準備の積み増しを図ることは事実上困難である。


4、実体経済面においてデフレ要因が山積する中で、マネタリーな面から自体を改善することは難しい。実体経済面の改革も合わせて行わないと、金融緩和も生きてこない。


1、2については、要するに期待という不確実なものを根拠にすることに対する警鐘です。人間は合理的な経済人とは到底言い難いので、政策担当者が意図したようにうまくいかないのではないか。しかも、失敗した場合にはバブルなりかねない。そういうリスクや副作用を警戒しているのです。加えてバブルの懸念。これはご存知の通りかと思われます。



3は、そもそも金融緩和はもう十分行っているという主張で、リフレ派は足りないと言うが、それはウソだ!という主張です*4。4は、デフレの原因を金融緩和の不足だけに求めない主張です。デフレの原因として、日本人の年収が年々下がっていることや、グローバル化によって新興国の低賃金労働者と競争しなければならなくなったなどという背景があるため、金融緩和以外の改革も必要だ!(例えば賃金を上げるなど)という主張です。



また、3の「民間に資金需要がない」というのは、仮に金融緩和をして資金を市中銀行に供給したとしても、その借り手(企業や個人)がいないということです。借りても投資したい場所(需要)がないからです。更に言えば、仮に借りたとしても、需要があるのは日本ではなく海外なので、借りた資金を海外の設備投資に回すことになります。つまり、金融緩和によって日本国内に流れると考えられていた資金が海外に流れるという状況もあり得るということです。これを言い換えると、金融緩和による円安で物価は上がるけれど国内の賃金は上がらないという最悪な状況も想定されるということです。

まとめ


長くなりました。後半は少しリフレ反対派に寄った形で書いてしまった感がありますが、それは正直に言いますと私が反対派寄りだからです(笑)色々と勉強してみた結果、反対派にたどり着きました。これが正しい方向性なのかどうかは読者の方々のリテラシーで判断してみてください。ただ、ここで強調しておきたいのは、リフレ派とリフレ反対派のいずれにせよ、金融緩和だけで日本の問題が一挙に解決するわけではないということです。これを語り出すとまた長くなるのでまた改めてまとめられればと思いますが、実体経済面の改革も行わなければこのままジリ貧だろうなぁと個人的には思っております。金融政策に対する過度な期待は禁物です。



参考文献
・湯本雅士『金融政策入門』岩波書店、2013年


金融政策入門 (岩波新書)

金融政策入門 (岩波新書)

*1:物価が継続的に下落すること。

*2:そもそもデフレがいけないものなのか?という議論もあったりするのですが、ここでは言及しません。

*3:http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE90L03220130122

*4:そのデータは参考文献に載っているので、興味があればどうぞ。

週刊情報整理―第9号


3月になりました。来年から社会人の身としては、引っ越しやらでやたらバタバタと忙しい月であります。しかし、海外旅行や国内旅行といったワクワクする行事も控えておりますので、存分に楽しんでいきたいと思います。海外旅行中はもしかしたらブログ更新がストップするかもしれませんが(せっかく連続で投稿を続けているので一応下書きをストックして更新しようと思っています)、今のところ辞める予定はないので、ちょっと更新が止まっても「パンダは海外に行ってるんだな」と思っていただければと思います。



ということで今週も元気にまとめます。


読まれるブログとそうじゃないブログの違い : Blog @narumi


ということだそうで。まぁそうですよね。読まれたいなら読者を意識しなければならない。


何で日本の新聞のウェブサイトって会員登録させる時にソーシャルログインとかサポートしないんだろか? | ホリエモンドットコム


ですよね。ログインしなきゃ読めないような記事はよっぽど読みたいと思わない限り読みません…。


Google先生では「なかなか教えてくれない」ニッチな情報を知れるWebサービス10選! | APPGIGA!!(アプギガ)


メモ。フライヤーはあんまり使ってないけど、これを期にちょっと読んでみようかな。


ちきりん降臨|ライフネット生命新卒採用2015


ちきりん、岩瀬大輔対談。面白かったです。新卒採用に関するサイトのあり方としても面白いと思います。


奨学金受給 学生の53%に NHKニュース


社会人になると同時に莫大な借金を背負う。返済期間を見るとため息しか出ません…。奨学金を未来への投資として考えて、給付型にしてほしいものです。。。


業界に激震走る。本日のLINEの発表でネットの世界はどうかわる? | More Access! More Fun!


LINEに関する話題が盛り上がった週間でしたが、個人的にはこの記事が一番わかりやすかったと思います。


貯蓄超過の謎 - 『賃上げはなぜ必要か』 : アゴラ - ライブドアブログ


デフレの原因はやはりこれだと思います。ただ、これをどう解決するかは難題すぎますね。。。


日本の人口「移民で1億人維持可能」 政府、本格議論へ:朝日新聞デジタル


移民は避けられないと思いますが、社会保障やら参政権やらも合わせて考えていかないと後々大変。



今回はこれくらいで。

国を表す一文字の不的確さ


本当になんてことない、どうでもいい話なのですが、個人的によく考えるので文章にしておきます。



国を表す一文字ってあるじゃないですか。例えば日本なら「日」、アメリカなら「米」、イギリスなら「英」みたいな。これを見るたびにいつも思うことがありまして、それは「なぜ国を表す一文字はこんなにも不的確なのか?」ということです。



日本が「日」なのはわかります。イギリスが「英」なのも、英語とかそういうことなのかな?と考えればまだわかります。でも、アメリカが「米」って全く意味がわからなくて。とんでもなく個人的なイメージですけれど、アメリカって米よりパンを食べているイメージなんですよね。しかも「アメリカ」という音的にも「米」の要素が全くないじゃないですか。まさか「め」を取ったとか言いませんよね?w



あとはフランスの「仏」。これは「フランス」の「ふ」からの「仏」ってことなんですかね?でも「仏」って「ほとけ」じゃないですか。イメージと全く違う。確か、もともとは仏=ブッダで、ブッダというのは古代インドのサンスクリット語から来ているものではなかったけか。もはやインドだし・・・。「ふ」ってだけなら「府」「譜」「付」「普」とかいっぱいありますし、なぜ「仏」なのか。その一方でインドは「印」だし、オーストラリアが「豪」ってめっちゃ強そうですけどそんなイメージ特にないし、なんだか色々と無茶苦茶に見えるのは私だけなのでしょうか。



基本的には「音」で揃えているみたいですけれど、完全に揃えているわけでもなければ、何かその国にまつわるもので揃えているわけでもない。別に私自身がじゃあどうすりゃいいのか?という対案を持っているわけでもないので(というかどうでもいいので)、疑問を投げかけておきながら全て丸投げしているわけですが、もう少し良い案はなかったのだろうか?とたまに思うわけです。さすがに適当につけているわけではないと思うので(?)それぞれ由来が気になりますね。



それだけです、ハイ。

金融政策の波及過程―マネタリスト・アプローチ


以前は、金融政策の波及過程―ケインジアン・アプローチについてまとめました。今回はマネタリスト・アプローチについてまとめたいと思います。

マネタリスト・アプローチ(通貨量経由)


マネタリスト・アプローチとは、リザーブ(準備)やそれに現金を加えたベースマネー(マネタリーベース、ハイパワード・マネーとも言います)によって変化するマネーストック(マネーサプライ、通貨量とも言います)がメイン・エンジンとなって実体経済を刺激もしくは抑制するというというものです。図としては以下のような感じ(参考文献55頁、図表1-9)。


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この理論のスタートは、中央銀行が供給するリザーブからです。1単位のリザーブ(R)の増加は、何単位かの通貨量(M)の増加をもたらすとされます。この関係(M/R)を信用乗数といい、安定的であるとされます。準備と通貨の関係は、M=R/rとも表されます。rは金融機関が顧客の預金に対して保有する準備の比率、つまり準備率です。この準備の供給が、その何倍かの通貨を生み出す過程を信用創造と言います。信用創造についてはこちら



☆ここまでいくつの記号的なものが出てきてゲッ!と思う方もいるかもしれませんが、とりあえずここで抑えてほしいのは、上記の図です。大まかに言えば、ケインジアン・アプローチのような金利の上下ではなく、お金の量を増減させることで実体経済に影響を与えようとしている、というところを抑えてください。


通貨量と実体経済の関係


通貨量と実体経済の関係はMV=PTという式で表され、これを通貨数量説と言います。Mは通貨量、Vは通貨の回転率(1単位の通貨が一定期間内に何度使われるか)、Pは物価、Tは取引高です。これを実際的に書き直したのがM=kPYという、ケンブリッジ(マーシャルの)交換方程式と呼ばれるものです。Mは通貨量、kは一定の係数、Pは一般物価水準、Yは生産量で、これは実質GDPと考えることができます。となると、PYは名目GDPということになります。



要約します。つまり、通貨量と生産額(数量×価格)との間には一定の関係があるということです。マネタリストはここからさらに進んで、通貨量を増やせば価格は上昇し、生産量は増加すると主張します。この時、マネタリストワルラス法則というのを使います。


ワルラス法則


大雑把に言えば以下のようなことです。

「経済資源(ヒト・モノ)がすべて利用されている完全雇用の下で需要と供給が一致している経済体系を考える。この経済体系は貨幣経済と実物経済で成り立っている。もし、実物経済において、財・サービスに対する供給が需要を上回っている(すなわちデフレギャップが存在する)ならば、そのことは(経済全体として均衡している以上)、貨幣の供給が貨幣に対する需要を下回っていることを意味する」。(参考文献の引用、219-220頁)


冒頭でも述べたように、要は通貨量が重要だという考え方です。これに関する是非はとりあえず置いておいて、こういう主張だということを覚えておいてください。


この理論をデフレ脱却の政策論として考えると?


デフレとは一般物価の持続的な下落だとすると、これから脱却するために、まずは中央銀行が通貨量を増やさなければならないということになります。これがいわゆる量的緩和であり、アベノミクスの金融政策の理論支柱であります。その流れとしては、上記の図を思い起こしつつ・・・


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⇒結果、経済全体としていいよね!という話です。(図が小さくてすみません)

金利との関係


ベースマネーの量を上げ下げが注目されるということは、同時に短期市場の金利が大きく変動することになります。実際、70年代末から80年代初めにかけてのアメリカでは、準備残高を引き下げる政策(資金供給を絞る)を取ったことで短期金利が大きく上昇しました(レーガノミクスの一つの金利政策)。こうした急激な短期金利の乱高下は金融機関経営や企業活動にとってかく乱要因となりました。



この時の経験から、通貨供給量の上下によって金融調節をすることは簡単なことではないということがわかりました。政策担当者は、後日判明する通貨量を事前に推測しながら、手探りで日々の調節を行わなければならないのです。


期待の重要性


ケインジアン・アプローチでもそうですが、マネタリスト・アプローチにおいても期待が大きな役割を果たします。つまり、中央銀行が大胆な金融緩和を行うという姿勢を示すことで、そのことが期待を通じて資産価格を上昇させ、為替相場を変化させるのです。結局のところ、ケインジアン・アプローチと同じように、市場との対話(コミュニケーション戦略)がものをいうところがあるのです。それくらい、現代の金融は心理に依拠するもので、非常に不安定なものとなっているのです。



参考文献
・湯本雅士『金融政策入門』岩波書店、2013年


金融政策入門 (岩波新書)

金融政策入門 (岩波新書)