怒られる、怒られないという判断基準で動くのをやめたい


本当に久しぶりの投稿です。突然ですが日曜日にアニメ、ハイキューを見ていました。その中で個人的にものすごく共感できる場面というかセリフがありまして。そのセリフは決してヒロインではなくて、ほぼモブ?的な立ち位置だと思うのですが、私もこんな気持ちをかかえながら部活をやっていたので、書きたくなりました(アニメの内容とかは面倒なので端折ります)。以下、こんな感じです。

負けてもやっぱりなーという感じで、そんなに悔しかった覚えもなかった。それまでの苦しい練習が、明日からはもうないんだという、開放感すらあった。でも、お前一人だけが苦しそうだったけど、なんでか俺は、そんな風なお前が、少し羨ましかった。


この感覚がすごく良くわかります。それまでの苦しい練習が、明日からはもうないんだという、開放感。本当によくわかります。負けて悔しかった覚えがなかったとまでは言わないまでも、周りの友人ほど悔しいとは思っていなかったような気がします。周りの友人が悔しそうにしているのを見て、それを少し羨ましく思えた点もすごくわかります。



では、どうしてこうした感覚になるのか?というのを考えてみたのですが、恐らく取り組む姿勢に違いがあるのではないか?という結論になりました。



というのは、負けて悔しいと思う人というのは、恐らく純粋に試合で勝つ喜びを味わいたいから、たくさん練習して、時には苦しい思いをするわけですよね。だから負けると悔しい(あんなに練習で苦しい思いをしたのに負けた…orz)。



しかし、私の場合は少し違っていて、練習するモチベーションというのが基本的に怒られたくないからなんです。もちろん試合で負けたいなんて思っていませんし、むしろ勝ちたいと思っています。でも、その勝ちたい理由が、勝つ喜びを味わいたいからではなくて、怒られたくないからなんです。特に練習試合は、内容が相当良くない限り、負けると大体怒られます。これが私はすごく嫌いでした。だから、勝った時の感情は喜びというよりむしろ、ほっとするというほうが正確です。勝てば基本的には怒られなくて済むから。



要は怒られるのが嫌いなので、怒られないためにはどうすれば良いのか?ばかり考えてしまうのです。生きてきた20数年を振り返ってみても、そんなことばかり考えて生きてきた気がします。提出物を出さなかったことは恐らく一度もなかったし、いわゆる校則も破ったことがありません。



自分でもわかってはいるのですが、こういった怒られる、怒られないを判断基準にした生き方は全然楽しくないです。いつも何かに怯えてビクビクしている。このままだと、仕事の中でも「どうしたらお客さんに喜んでもらえるか?」ではなく、「どうしたらお客さんに怒られないか?」を考えてしまいそうです。しかも厄介なことに、お客さんに喜んでもらえると思ってやったことが、「余計なことしやがって!」的な反応もありえたりすることもあるようで…。



まぁとにかく、この怒られる、怒られないを判断基準に生きるのは全然楽しくないし、精神衛生上もよろしくないと思うので何とか変えたいのですが、結構難しそうです。解決策は何も出てないけれど、今日はこれくらいにしておきます。


ハイキュー!! 1 (ジャンプコミックス)

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