目の前のことを大事にしたい。

読みました。


人生の、目的。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。



相変わらず素敵な文章を書かれるお方です。ついつい便乗エントリを書きたくなりました。まずは引用。

お金のためだとか、キャリアデザインのためだとかというのは便宜上の話であって、僕の人生の報酬というものは、自分の楽しい時間を誰かと共にした瞬間に、すぐに与えられている。


特に共感というか、私に響いてきたのは「すぐに与えられている。」という部分。毎日何気ない会話をしたり、お酒を飲んだりする中でお互いに楽しいと思えれば、それでいいと思います。仮にそれがすぐに忘れ去られてしまうようなものだとしても、それを繰り返し続ければ、「楽しい」がたくさん経験できる。個人的にはそれで十分な気がします。「楽しい」と思えただけで、人生の目的なんて概ね達成出来ていると、最近はそこまで思ったりもしています。



人生の目的とか、生きる意味というような類の話って、長期的な視野で考えがちだと思うんですよね。人生の目的なんて問い自体が壮大で、日本の平均寿命も80年はあるので、無意識的にその回答も「死ぬまでに何を成し遂げたい」的な、壮大で長期的なものになりやすい部分はあると思います。就活なんかをしていても、「10年後はどうなっていたい?」とか聞かれることもあるので、人生は長期的に考えるものだという暗黙の了解がある気がします。



実際問題、ある程度長期的に考えることが大切なのもわかります。特に企業経営とか国家運営みたいなものに関しては、目の前のことだけを考えていたら残念な結果になると思います。でも、個人レベルで考えるならば、目の前のことひとつひとつを楽しめればそれでいいような気がします。一応先のことも考えて見るのですが、国的にも個人的にも先が全然見えなくて、すごく暗い気分になるんですよね。私は「先が見えないから楽しいんじゃん!ハッハッハー!」という人ではないし、先を見通す自信もありません。そして何より、平均寿命があるとは言っても、実際はいつ死ぬのかなんて誰にもわからないわけで、極端な話、もしかしたら明日死ぬかもしれないのにその先を考えているのはなんだかバカバカしくも思えてくるのです。



だったら、目の前を楽しむしかないじゃないか、と思うわけです。先はどうなるかよーわからんけれど、とりあえず流れに身を任せて楽しもう。その時に自分だけで楽しむのではなく、相手がいるからこそ楽しめるというところを忘れないようにしたいものです。



かなりざっくり言ってしまえば、先なんてよーわからんから、目の前を大事にして楽しもうという話で、かなり頭悪そうですが、私は今のところこれでそれなりに楽しいからいいかなーなんて思っています。


これくらいにしておきます。