『アルジャーノンに花束を』読了


読みました。

アルジャーノンに花束を (ダニエル・キイス文庫)

アルジャーノンに花束を (ダニエル・キイス文庫)


多少のネタバレを含む感じなので、本書を楽しみにしている方はお控えくださいませ。ネタバレとは言っても、本書はある青年の感情の機微を見ることが醍醐味だと個人的には思うので、物語の流れのネタバレはそんなに問題ではないと判断しました。


本書をなんで持っているのかわからないくらいに積読状態だったのですが、小説の積読が減っていたのでようやく手をつけることになり、夜寝る前にちょっとずつ読み進め、やっと読み終わりました。とりあえず名作だというので、一度は読むべきだろうと思って買ったのだと思います。内容は裏表紙を引用します。

32歳になっても幼児の知能しかないパン屋の店員チャーリイ・ゴードン。そんな彼に、夢のような話が舞いこんだ。大学の偉い先生が頭をよくしてくれるというのだ。この申し出にとびついた彼は、白ネズミのアルジャーノンを競争相手に、連日検査を受けることに。やがて手術により、チャーリイは天才に変貌したが……超知能を手に入れた青年の愛と憎しみ、喜びと孤独を通して人間の心の真実に迫り、全世界が涙した現代の聖書(バイブル)


という内容です。私的に言えば、“天才と愚鈍の両極端を知った青年の様々な葛藤の物語”です。


人は誰でも、一度は「頭が良くなりたい!」思うものだと思います(「頭が良くなる」と言っても色々あるかと思いますが、ややこしくなりそうなのでここでは触れません)。それはチャーリイも例外ではなく、知能レベルが低い現状でも楽しげに過ごしてはいたものの、「頭が良くなればもっと良いことばかりになるだろう」と考えていました。だから手術を受けたがったのです。


しかしながら、手術を受けて頭が良くなってくると、知能が低かったころには友達だと思っていた人たち(パン屋の人たち)は、実は彼をからかっていただけの人たちだったということがわかるようになってきます。更には、彼らが店の売り上げをかすめ取るというような悪事を働いていることさえもわかってきます。


端的に言えば、頭が良くなったことで良いことが起こるどころか、嫌な部分が見えるようになってきたのです。


他にも、過去に彼の家族の中で起きたトラウマが思い出されるようになったり、研究者に研究論文について言及すると「それは専門外だ」と言われて絶望するなど、知能レベルが上がることでの良いことがほとんどありませんでした。


そうしてチャーリイ自身も周囲との「差」を感じ始め、傲慢で自己中心的な人物へと変わっていきます。そんな中、知能レベルとしては最高峰まで上り詰め、他方で孤独を深めるのですが、今度は一転して(急激な知能レベル獲得の代償と言うべきか)知能低下に襲われます。


知能低下に襲われたら襲われたで、過去の知能レベルの自分には戻りたくないと考えます。とはいってもそれを止める手立てはなく、それはどんどん進行し、本書は終わりを迎えます。


「生きていることそれ自体が苦痛である」という仏教的な雰囲気を感じさせる、久しぶりに悲しい気持ちになる読後感でした。


☆☆☆☆☆
本書を読んで考えたのは、“知能を得ることで本当に幸せになれるのか?”ということです。もちろん頭が良くなろう(≒勉強しよう、知識を得よう)と考えるのは全然問題ではないし、それ自体は素晴らしいと思うのだけれど、それによって知らないほうが良かったかもしれないというようなことも見えてくるようになります。考えようによっては、何も知らないほうが幸せと言えるのかもしれません。


例えば、市販の肉の味とA5ランクの特上肉の味の両方を知っていれば、A5ランクの肉のほうが幸せだと思うのが当然です。しかし、A5ランクの肉そのものの存在を知らなければ、市販の肉でも十分満足できるわけです。


知らないことを知るというのは新鮮で楽しいけれど、場合によっては不幸になることもあるようで。だからと言って“何も知ろうとしない”というのも何か違う。知的好奇心というのは人間の根本的なところの気もしますしね。


幸せとは何なのか。知能を得ること?自分が過ごしやすい人間関係を構築すること?とりあえず今の環境は楽しいから、そんなに深く考えることは今までしなかったけれど、“自分にとっての幸せとは何か”ということを、一度立ち止まって考えることも必要かもしれない。そんなことを考えさせられる本でした。


読後はちょっと暗い気分になりますし、さっと読めるような量でもない(485頁)ので、積極的に薦めたいという本ではないですが、何かしら心にひっかかるものがあると思います。名作と言われる理由はよくわかりました。


アルジャーノンに花束を (ダニエル・キイス文庫)

アルジャーノンに花束を (ダニエル・キイス文庫)