シュタインの租税理論

以前にこんな記事を書きました。↓↓↓


有機的国家論―納税は「義務」という考え方 - パンダのぼやき



上記記事を簡単にまとめれば、「ドイツ的国家論は、全体利益あってこその私的利益であり、全体が損なえば個人も損なうという、運命共同体と捉えられていた」ということです。こうした国家観は、ヘーゲルによって構築されたものです。


19Cドイツでは、以上のような国家観を背景として租税論も構築されました。そこで重要となる人物がロレンツ・フォン・シュタインとアドルフ・ワーグナーです。今回はシュタインの租税理論に焦点を当てて見ていきます。


※ちなみに、明治憲法を起草する前に勅命によって渡米した伊藤博文は、シュタインに直接の教えを請いました。その意味ではドイツと日本は国家の仕組み的に近いものがあるので、彼らの理論を検討することは意味のあることだと思います。


それでは以下詳細。

シュタインについて

社会主義共産主義思想、ヘーゲル哲学に強い影響を受けた。フランス革命に典型的に現れ、19C当時も続いていた社会問題に関して、国家による上からの解決を目指した人物。上からの改革については↓↓↓


近代化の2つのパターン - パンダのぼやき



シュタインはヘーゲル法哲学を忠実に踏襲した上で、国家には「理念型としての国家」「現実の国家」があると指摘する。ヘーゲルについては↓↓↓


有機的国家論―納税は「義務」という考え方 - パンダのぼやき


「理念型としての国家」と「現実の国家」


理念型:
ヘーゲルの言うように人間を法の下に自由かつ平等に取り扱う
⇒国家は自由と平等の発展のために用いられる超越的な立場(国家が市民にとって良いことを必ずやってくれる)


現実:
国家の成員が、同時に社会(市民社会)の成員として生活している以上、国家だけが理念型のような超越的立場を誇ることはできない

⇒実際には国家権力を持った階級が、他の階級を隷属させるための手段として国家権力を用いる。(理念型ではこうした権力の悪用は想定外)



こう見ると、シュタインはヘーゲルより現実的な議論をしたと言えます。つまり、国家を社会的諸階級が権力を奪い合う場としてとらえたのです。



☆抽象的で非常にわかりにくいかと思いますが、ポイントとしては「国家が社会をつくるのではなく、社会が国家をつくる」ということです。ヘーゲルとの決定的な違いは、ヘーゲルは「国家が社会をつくる」(理念型)というイメージだったのに対し、シュタインは「社会が国家をつくる」(現実)と主張しました。



では、「現実」を「理念型」に近づけるにはどうしたら良いのか?

「社会改良」と租税


シュタインは、望ましい国家とは何か?という問いに対して、「『社会改良』を目指し、実行する国家である」と答えました。それは絶対王政でもなく、武装蜂起による政府転覆を目指す共産主義でもないものです。


それでは、「社会改良」とは何か。その中身は…


各人がその能力に応じて、また労働の量と種類に応じて、生産と所有の分け前を受け取ることができるような労働のあり方を組織し、そのための制度を整備すること。その一つの解答が、シュタインの租税理論です。


引用すると・・・

資本、所得、そして資本形成は経済の有機的基礎である。課税の原則の第一命題はしたがって、それが決して資本を減じてはならないということである。第二命題は、その名称と形態がどのようなものであれ、あらゆる課税は所得に対してなされるということである。第三命題は、課税は所得の中から資本蓄積を行うのが不可能になってしまうほど大きくなってはならないということである。

下記諸富参考文献、74頁(シュタイン『財政学教科書』1885年)。孫引きになって申し訳ないです。。。



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現代的に捉え直すと、より多くの資産を保有している人(有産階級)から資産の少ない人へ分配しましょう(応能負担、再分配)という議論に近いと思います。世代間格差の問題を考えるとわかりやすいでしょうか。有産階級(誤解を恐れず極端に言ってしまえば、現代日本の高齢者)の政権が、いわば社会主義的な政策を実施することを、シュタインは「社会改良」と呼んだのです。とはいえ、社会主義を目指していたわけではなく、有産階級が資本主義の本質(貧困、格差を生み出す)を見据え、これらの問題を解決するように行動するほうが、自己利益を追求するよりも得策だという主張です。富の偏在は社会の亀裂を生み出し、不安定化します。このあたりがわかりやすいかと↓↓↓


怒れるアメリカの若者たち - 朝日新聞社(WEBRONZA)


再分配を整備することで、いわゆる社会革命(フランス革命など)の必要性が薄れ、国家を安定させることができる。他方で課税については、決して資本を減じてはならないし、資本蓄積が不可能になってしまうほど大きくなってはならないとも主張しました。分配はすべきだけど、かといって過度に経済をゆがめるような課税は避けるべきということだと思います。典型的な議論は重税が労働インセンティブを削ぐというものだと思います。


示唆に富む指摘ではありますが、結局のところは理論でしかなく、当時において実際にどのように実施するのか、どのような徴税機構が必要なのかについては深く言及されなかった。こうした課題を含め、のちの議論はワーグナーに受け継がれました。


しかしながら、現代においては必要な徴税機構もそれなりに整っているので、この理論を実現する基盤自体はできていると思うので、一考の余地はあるかと思います。


ワーグナーについては改めて。



参考文献
・諸富徹『なぜ私たちは税金を納めるのか』新潮社、2013年

私たちはなぜ税金を納めるのか: 租税の経済思想史 (新潮選書)

私たちはなぜ税金を納めるのか: 租税の経済思想史 (新潮選書)