その人にとってつらいと思うことをするのが“努力”になる


卒論の提出も終わりまして(といっても1週間前ですが)、とりあえずひと段落といったところです。


卒論の提出で学校に対する提出物はもう終わりかなーなんて思っていたのですが、どうやら“梗概(こうがい)”というものの提出が必要なようです。梗概とは、口頭試問をする際に、参加者が論文読まなくても、その場である程度内容がわかるようにまとめたレジュメみたいなものです。


さて、梗概なんてちゃっちゃとまとめて、ブログの更新やら自サイトの更新やら読書やらに集中したいなー(一人でできることばっかり。)と思って、早速、梗概の作成に取り組み始めたのですが・・・


その梗概に盛り込む内容で、1点だけちょっと書きにくいなと思ったことがありまして。それが“努力した点”です。


梗概に盛り込む必須事項というのがいくつかありまして、それが以下。

1、 目次
2、 研究課題
3、 研究方法
4、 研究成果
5、 努力した点

1~4は当たり前ですね。これらに関しては、別に書くのに困ることなんてありません。内容の良い悪いはとりあえず置いておいて、一応論文として完成させたわけですから、それに沿って要約をすればいいだけです。


でも、5の努力した点。これを書こうとしたときに、あくまで個人的な見解ですが、卒論を書いているときに“努力しているな!”と思った瞬間がないので、書きようがないなと思ったのです。


“努力”の個人的な定義

というのも、私の中の“努力”という言葉の定義に、“嫌々やる、苦しいけどやらざるを得ないからやる”みたいなニュアンスが含まれています。でも、私は卒論を書く過程でデータ見たり、本を読んだりしながら、あーでもない、こーでもないなどとうんうん考えているのがすごく楽しくて、誤解を恐れずに言えば、論文の執筆は遊んでいるようなものでした。だから、“嫌々やる、苦しいけどやらざるを得ない”という状態ではなく、むしろ積極的にやっているので、努力をしているとは思えなかったのです。

辞書的な定義

そこで、辞書的には“努力”ってどういう意味なんだろうと調べてみると・・・

大辞林 第三版の解説
どりょく【努力】

( 名 ) スル
心をこめて事にあたること。骨を折って事の実行につとめること。つとめはげむこと。 「目標に向かって-する」 「 -のたまもの」

だそうで、私の思う努力とはちょっと違いました。どうやら辞書的には“嫌々やる、苦しいけどやらざるを得ないからやる”というニュアンスはないようです。となると、私の個人的な努力の定義がどこから来たのかが気になるところですが、ちょっとまだわからないなぁ。



ということで、この辞書的な定義に従うならば、努力した点もいくらか書けそうです。でも、個人的な努力の定義は結構前から思っていたことなので、辞書的な定義に沿って記述することで、その内容がなんだかウソをついているような気がして後ろめたい…^^;


まぁそんなこと言っていたらいつまで経っても進まないので、ここは辞書的な定義の努力で書くことにします。本当は「私の努力の定義には嫌々やる、というようなニュアンスが含まれますが、卒論は終始楽しんで書いていたので、努力した点なんてありませんッ!」なんて書ければカッコいいのかもしれませんが、キ○ガイだと思われそうだし、何より単位をもらえなかったら怖いので控えます。



皆さんにとっての“努力”ってどんなイメージなんですかね。どんな時に努力した!と思えるのか、気になるところではあります。