当事者にならないと見えないものがある

以下の記事を読みました。


コーヒーに入れる砂糖の量でわかる金持ちと貧乏人の行動の相似 - ウェブ1丁目図書館



ざっくりまとめると、「理由は違うけれど、やっていることは同じだという“相似法則”」に関する記事です。面白いです。

その例として、白兎さんは以下のような例を挙げています。

1、 貧乏人も金持ちも体が引き締まっていてスマート
2、 貧乏人も金持ちも古着を愛用する
3、 貧乏人も金持ちも賃貸マンションに住む
4、 貧乏人も金持ちも車を運転しない
5、 貧乏人も金持ちも携帯電話を持たない

この例に沿って、貧乏人と金持ち双方の立場を想像して、それぞれ上記のようになる理由を考えてみました(もちろん、これ!という正解があるわけではありません。元記事を読む前に考えてみると面白いかと思います)。貧乏人に関してはソッコーで理解できたのに(要するに貧乏人なのです)、金持ちに関しては4、5を除いて全くわかりませんでした。「それはお前に想像力がないからだ!」と言われたらそれまでなのですが、とはいえ、この“想像力”にはやはり限界があると思います。




あくまで例ですけれど、例えば上記3の場合、私のような貧乏人なら、金持ちはマイホームを買うでしょ!羨ましい!と思うわけです。でも、実際にマイホームを買おうとなると、結構な税金がかかるようです。詳しいことはわかりませんが、上記記事を読む限りでは賃貸のほうが税金は安いようです。




この税金に関することって、恐らく実際にマイホームを購入する“当事者”にならないとわからないのではないかと思います。実際に買えるわけもないのに税金のことまで想像することは恐らくありません。




この他に、政治家について考えてみるとわかりやすいかもしれません。「政治家には庶民感覚がない」みたいな話をたまに聞くかと思いますが、この話も政治家がいわゆる庶民を“経験したことがない(当事者になったことがない)”というところに通じているように思います。あとは「最近の若者は~」も恐らく同じでしょう。




逆に考えれば、金持ちにだって庶民にはわからない苦労があるでしょうし、政治家にだって有権者にはわからない苦労があるとも言えます。結局のところ人間なんて、自分中心に考えてしまうものなのだと思います。。。




☆☆☆☆☆
要するに何が言いたいのかというと、“想像力には限界があって、当事者にならないとわからないことがあるよね”という話です。とはいえ、“当事者じゃないからわかりませーん”と全てを投げるのではなく、当事者ではないから完全理解はできないけれど、できる範囲で理解しようとする姿勢はやっぱり必要だろうなぁ、と思いました。


自分以外の人のことなんて、生きてきた境遇やら経験やらが違うのだから、わからなくてある意味当然なのです。でも、それをわからないからと突っぱねてしまうのと、わからないけどそんなもんかねぇと受け入れるのでは、前者のほうが窮屈な感じがします。個人的には後者のほうが好きなので、想像力には限界があるということを頭に入れた上で、理解しようとする姿勢は持っていたいと思っています。