卒論で、周りとの「ギャップ」を実感しました

12月、1月あたりは、大学生や大学院生の卒論・修論の時期ですね。なぜ、急にこんなことを書き始めたかというと、自分が作業をしている時の周りの会話の内容に、どうも違和感があったからです。

 

というのも、私の考える卒論とは、「大学4年間の学業の集大成」です。4年間を通して講義や本などで学んできたことを整理して、自分なりの問いを立てて、それに対して一定の答えを提示するものだと思っています。自分が学んできたことを、卒論という一つの作品として昇華させることにすごく喜びを感じるし、書きながらも新たな発見が出てきたり、教授からこういう視点も必要じゃない?などとアドバイスされたりと、卒論を書いていてとても楽しいです。

 

しかしながら、図書館での会話や友人の話を聞いていると、私のように楽しんで書いている人はほとんどいないということに気が付きました。例えば、図書館でのワンシーン…

 

A:「ねぇねぇ、今どれくらい書いてる?」

B:「1万字弱ぐらいだねー。」

A:「おぉ!結構進んでるね!どうやって字数埋めてんの?」

B:「とりあえず歴史的な出来事ならべて何とか稼いでる。」

A:「やっぱり。字数埋めるのほんと大変。っていうか俺がやりたいのは現代なんだよね。なのに先生は歴史的背景を入れろとか言うんだけど。まぁ確かに歴史的背景入れれば字数稼げるもんなー。面倒だけどやるかー。」

 

 

最初は、こんな感じなのはうちの大学だけなのだろうか?と思っていたのですが、案外そうでもなさそうです。今度は東京近郊の大学の友人とのやりとり。

 

 

C:「最近は卒論でいっぱいいっぱいなんだよねー。早く遊びてぇ。。。」

D:「わかるわー。バイトに卒論でほとんど遊んでない。」

E:「俺、卒論ない組!今めっちゃ遊んでるわ!」

CD:「まじかよ!いいなー」

私:「へぇ~。(心の声→か、会話に入れない……orz)」

 

自分の周りの印象だけで決めつけるのもどうかと思いますが、こうした会話を聞いているとどうやら、大半の大学生にとって卒論は「楽しくなくて、めんどくさいもの」なんですね。正直な話、1年生の段階で薄々気が付いてはいましたが、卒論期に入って自分と周りの卒論(学業)に対する認識のギャップをはっきりと実感しました。そして私は、卒論が面倒なものとは思っていないし、遊びたいとも思っていません。というより、卒論は感覚的には遊んでいるようなものです。だから、この卒論めんどくさい雰囲気の会話に入りにくい…。

 

私も話のとっかかりとして「字数どれくらい書いた?」くらいは聞いたことがあると思いますが、私の焦点はそこではなく、「どんなことを書いているのか」のほうが断然興味があります。どんなことを書いているかを聞いて、なるほど、そんな切り口があったか。とか、こんなところで迷っているとか、その趣旨の論文だったらこういう視点を取り入れないとダメじゃない?こういう視点もあったら面白くなるかも!というような話をしたいのです。

 

しかし、周りの友人達は基本的に「字数をどうするか」という話をしています。どうやったら字数が埋まるのか、例えば歴史的なことを書いてみるとか、図表を多用するとか…。

こうした感覚が私には全然わかりません。そもそも「字数を埋める」という概念が全くなかったので、そういう会話を聞いたときに正直驚きました。字数なんて、自分が立てた問いに答えるために必要な情報を集めれば、すぐに達成できるはずなので。あとはその情報を整理して、自分なりに組み立てる…。このプロセスはすごく楽しいと思うのだけど、私は少数派のようです。

 

タイトルにはギャップと書きましたが、なんかこう、最近では自分が違う世界に生きている感じさえします。正直、さみしいですね。まぁでも、ごくごく少数ではありますが、私のしたい話に付き合ってくれる(嫌々ではなく、そういうのが好きな)友人もいるので、それがせめてもの救いです。

 

 

今日の記事は要するに卒論の会話に入れず、モヤモヤしている人の愚痴です、ハイ。