社会支出の比較―日本と北欧


以前にこんな記事を書きました。


国民負担率の比較―日本と北欧 - パンダのぼやき



北欧の国民負担率は高い、税負担を重視しているというような負担を中心とした内容です。今回は受益(主に社会保障)についてまとめていきたいと思います。

社会支出とは何か


社会支出とは、詳しくは脚注のリンクを参考にしていただきたいのですが*1*2、簡単に言ってしまえばいわゆる社会保障のことで、OECD基準で定められた指標です。社会保障というと年金、医療、介護などの高齢者世代向けの支出を想像しがちかもしれませんが、社会支出は失業や住宅などの現役世代向けの支出も含めたもう少し範囲の広いもので、全9項目で構成されます。以下では北欧と日本の社会支出について表で整理しましたので、それに沿ってみていきます。

社会的支出の大きさとその内訳


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それでは上記の表1を元に話を進めます。この表は北欧諸国と日本のGDP全体に占める社会支出の割合とその内訳を表したものです。まずは社会支出の合計を見ると、デンマークが30.2%、フィンランドが29.4%、ノルウェーが23.3%、スウェーデンが29.8%、日本が22.2%となっており、ノルウェーは日本とあまり変わらないものの、北欧全体でみれば社会支出は日本より大きいです。この背景には以前にまとめた高負担があります。



次に、社会支出の内訳について見てみます。まずは「高齢」についてですが、これは老齢年金や介護サービス諸費などのことです。デンマークは8.2%、フィンランドは10.2%、ノルウェーは7.1%、スウェーデンは10.2%、日本は10.4%となっており、日本が最も大きいです。「遺族」については遺族年金をイメージしてください。これも「高齢」と同様に日本が最も大きいです。日本の社会的支出の合計のうち、半分近くが「高齢」の項目に支出されていることからもわかるように、日本は社会支出のうちの多くを高齢者に支出していることがわかります。これについては後述しますが、日本の社会支出は高齢者世代向けに偏っていると言えます。



次に「障害、業務災害、傷病」を見てみます。この項目については障害年金や傷病手当をイメージしてください。この項目では日本は北欧に比べて圧倒的に支出が小さいです。「保健」は主に医療の現物給付を表したものですが、これについては日本と北欧で大きな違いは見られません。



「家族」については日本と北欧で顕著な差が見られます。「家族」の中身は児童手当や介護休業給付などの現役世代向けの支出となっており、デンマークは3.9%、フィンランドは3.3%、ノルウェーは3.2%、スウェーデンは3.7%、日本は1.0%となっています。「積極的労働市場政策」*3や「失業」についても「家族」と同様の現役世代向けの支出であり*4ノルウェーを除いて北欧諸国は日本より高い数値示しています。

現役世代向け支出と高齢者世代向け支出の内訳の比較


ここまでで見えてきた日本と北欧の違いをまとめると、①社会的支出全体は北欧諸国が大きい、②現役世代向けの支出が日本より大きいという2点です。とりわけ②についてわかりやすくまとめたのが以下の表2です。


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表2は、表1を「高齢」「保健」の2つを「高齢者世代向け支出」、そのほかの7項目を「現役世代向け支出」に分けて表したものです。これによれば北欧諸国は、現役世代向け支出:高齢者世代向け支出=4:6(デンマークに限っては5:5に近い)となっており、ある程度のバランスが取れています。他方の日本は、現役世代向け支出:高齢者世代向け支出=2:8で、高齢者世代向け支出に大きく偏っていることが指摘できます。

まとめ


・社会支出は日本より北欧のほうが大きい
・社会支出の内訳を見ると、日本は高齢者向けに偏っている



というのが今回のポイントです。社会保障の充実が割と強調される北欧ですが、数字を見ると実際に充実していることがわかります。加えて本記事では触れていませんが、社会保障に対する支出が大きい割にそれなりに財政状況も健全というのがミソです。これを実現させる背景にあるものが積極的労働市場政策(≒フレキシキュリティ政策)であり、現役世代向け支出です。この辺りは非常に重要なので改めてまとめます。



参考文献・資料
http://www.ipss.go.jp/ss-cost/j/kyuhuhi-h21/5/5.html
http://www.ipss.go.jp/ss-cost/j/kyuhuhi-h18/1/1.html
http://stats.oecd.org/Index.aspx?datasetcode=SOCX_REF#
http://www.ipss.go.jp/ss-cost/j/fsss-h22/4/2.html


北欧モデル 何が政策イノベーションを生み出すのか

北欧モデル 何が政策イノベーションを生み出すのか

*1:http://www.ipss.go.jp/ss-cost/j/kyuhuhi-h21/5/5.html

*2:http://www.ipss.go.jp/ss-cost/j/kyuhuhi-h18/1/1.html

*3:一言で言えば職業訓練のこと。アクティベーションとも呼ばれ、デンマークフレキシキュリティ政策の1つです。これについては北欧の社会システムを理解する上で非常に重要なので別記事にまとめたいと思います。

*4:各項目の説明については、国立社会保障・人口問題研究所『社会保障費用統計(平成22年度)』の巻末参考資料「政策分野別社会支出の項目説明」を参照した。 http://www.ipss.go.jp/ss-cost/j/fsss-h22/4/2.html (閲覧日:2013年10月9日)

一応大学を卒業することだし、自分の4年間を振り返ってみることにする―②


一応大学を卒業することだし、自分の4年間を振り返ってみることにする―① - パンダのぼやき



上記リンクの続きです。読んでない方のために簡単にまとめると、1年次は特にバイトもせず講義中心の生活、2年次は知識の蓄積からアウトプットしたい衝動に駆られ、友人と社会科学系のブログを開設、夏休みからはバイトも始めました、という内容です。今回は3年から4年の話です。

3年生―基本的には2年生の延長


3年次は2年次の延長といった感じで毎日が回っていました。平日は講義を受けながらそれを元に記事を書いたり、別途本を読んで学んだことを整理して記事を書いてブログにアップの繰り返し、休日はバイトのサイクルです。引きこもり感がすごい(笑)いわゆるリア充系の大学生とは程遠い生活のあり方ですが楽しんでいたので問題ありません。



こんな感じでサイクルを回していたわけですが、3年生にもなると頭をかすめるのが就活です。私は心配症なので、3年の4月にはもうそわそわしていました。4月は確かまだ就活サイトの登録も出来ない状態なので特に何をするわけでもなかった、というかできなかったです。というわけでそわそわを抱えながらも、とりあえず3年前期はひたすら勉学に励んでおりました。



というのも、私の所属するゼミでは単位取得のために「懸賞論文」なるものを提出する必要があったので、それに向けて勉強を開始しました。ゼミのテーマとして研究していたのが福祉国家に関するもので、とりわけ北欧諸国の社会制度を中心にやっていたので、3年次はそれを中心に勉強し、論文を書きました。この辺は日本にとっても示唆に富むところがあるので改めてまとめてこのブログにアップするつもりです。



この懸賞論文、私にとっては最高の機会でした。ブログ意外にアウトプットする場を与えてもらえたのですからね!相当気合を入れて論文を書き上げ、なんと佳作を受賞!!本当は優秀賞を狙っていたのですが、審査員の方にこれこれこういう分析が足りないと言われてしまいました。まぁそんなもんですね。それでも自分がやってきたことを賞という形で評価されたのはすごく嬉しかったです。おっと、自慢になってしまいました。失礼しました。

就活を意識、そして開始


勉学に関してはこんな感じだったのですが、やはり就活が頭をかすめつづけ、夏頃からいろいろ情報収集をするようになりました。ツイッターで就活用アカウントを作ってみたり、とりあえずググってみたり、大学のキャリアセンターに行って資料を眺めてみたり。といろいろやってみたわけですが、結局情報収集しただけじゃスッキリしないんですよね。だから何かしら行動しようと思いまして、OB・OG訪問を敢行しました。一応興味のある業界をみて、就職先企業をみて、キャリアセンターに問い合わせて番号をもらって、電話して…。この電話がめちゃくちゃ緊張したのを覚えています。電話する前に話す手順を紙に書いたりして(笑)



でも、1回かけてしまえば後はなんとかなるもので、1番最初に電話したOGの方なんかは計3回くらいは会いに行きましたね。1回目を終えれば大体名刺をくれるので、次回以降はそのアドレスにメールを入れればアポが取れます。結局心理的に大変なのは最初だけでした。しかも最初だけ頑張れば、就活という名のもとに繰り返しきれいなOLに会いに行けるわけで。こんなの行くしかないでしょうが!実際OGしか訪問していません。ゴミクズですね、ハイ。



真面目な話、OB・OGから有益な情報を得られるかどうかは別にして、そのOG経由で別の社員を紹介してもらえるなんてことも十分ありえるので、1回やってみることをオススメします。



本格的に就活を始めたのは2月頃でした。本当はもう少し早く始めたかったのですが、大学が東京ではないことと試験が2月上旬頃まであったこともあり、この時期になりました。本格的に開始してからは休みなんて一切なく、3年の春休みは就活ですべてぶっ飛びました。1日2件の説明会は当たり前、3件の時もありました。今思えばよくもまぁそんなに動けたなぁと思います。個人的には就活はさっさと終わらせて、ブログ運営に戻りたいと思っていたので、4月に終わらせることを目標に2,3月を駆け抜けました。目標通り4月の下旬に就活を終え、晴れて勉学に戻れました。

4年生―家と図書館を往復する毎日。


就活も何とか終わり、自由の身になった4年生。私は3年生までに卒論以外の単位を全て獲得していたので、1年通して授業ゼロでした。何たる幸せ。普通の大学生であれば、恐らくひたすらバイトして、そのお金で遊んで…。という感じになるのでしょうか。これはこれで1つのあり方だと思うので否定するつもりは全然ありません。でも、私はこの方向ではいけませんでした。まず、アルバイトは出来る限りしたくなかった。なぜなら来年から山ほど働くことは目に見えているからです。だから借金が増えるのは嫌だったけれど、奨学金を増額してまでバイトから逃れていました(笑)まぁでも夏休みなどの図書館が開いてないもしくは開館時間が短い時は短期でバイトはしていたのですが、あくまで短期でした。



ということで4年次の私の生活サイクルは図書館で1日勉強して、記事書いて、夜は家でアニメ見て小説読んで、たまにライブに行って。これがものすごく楽しい。好きなことが基本的に1人で出来てしまうんですよね。この頃からでしょうかね、ひとりごとが増えたのは(-_-)

ブログの昇華版サイトの開設


という感じが4年生なんですが、1つ変わったことと言えば、2年次から運営してきたブログを昇華させたサイトを開設したことです。それが以下。


アラエス -全ての人に学びの空間を-



ブログでもアクセスが結構増えてきたので、友人と「もうちょっと先に行ってみようじゃないか!」ということで、登録さえすれば誰でも投稿可能なサイトを作りました。ブログの場合だと管理側しか投稿ができないし、そうなるとどうしても主張が偏りがちなサイトになると思ったので、全員投稿型にすることでもっと議論が活発にならないかなーと思って作ってみました。色々と試行錯誤中ではあるので随時改善は必要ですが、どうしたらもっとアクセスが増えるのかなどなどを素人なりに考えるのは面白いです。

まとめ―やってよかったこと、やっておけばよかったこと


色々と長いこと書いてきたわけですが、私の大学生活を総括すると約7割は勉学だと思われます。2割がバイト、1割がいわゆる遊びみたいな感じになるのでしょうか。とはいっても勉学自体は好きでやっていることなので遊びと同じようなものだと自分では思っているのですが、「もっと遊びな!」と声をかけられることを考えると周りにはそう映っていないようです。



そんなわけでここからはこれまで書いてきたような経験の中で、大学生活の中でやっておいてよかったこととやっておけばよかったことを簡単にまとめておこうと思います。


やってよかったこと


やはり勉強はしておいてよかったと思っていますし、これからも続けるつもりです。ここでいう勉強とは基本的には大学で学んできた社会科学(政治経済)系です。これは純粋に自分が生きていく上で必要な知恵であると同時に、就活という観点からも役に立ったと思っています。例えば「学生時代に頑張ったこと」という定番の質問がありますが、これに対して勉学だと答える人はあまりいません。この時点である程度の差別化は可能です。もちろんその後の説明(どうして勉学なのか、どういう意味があるのかなど)が非常に大切にはなるのですが、それがうまく説明できれば印象は良いはずです。



1つだけ例を上げておくと、私はいわゆるベンチャー企業(定義は色々面倒なのでここでは触れません。)を中心に受けていたのですが、その時のベンチャー企業を考えている理由として「終身雇用慣行はもはや幻想だからだ」ということを述べていました。現代日本を見つめてみると、名だたる日本の大企業が整理解雇を実施したり、そもそも非正規雇用者が3割を超えるような状況がある中で、終身雇用という形で安定を求めることにすごく疑問を感じていたのです。こういう現実を目すると、これからの安定というのは恐らく自分のスキルを上げることでしか獲得できないのではないか?そうだとすればはじめから手を挙げれば色々と挑戦させてくれる会社を選んだほうがいいのでは?と思ってベンチャー企業にした、という旨のことを述べていました。もちろん、大企業だってそういうことができるところはあると思うのですけれど、私が大学的にいわゆるランクの高いところに通っているわけではないので、そもそも内定が取れる自信がなかったという側面もあったりなかったり。



要するに言いたいのは、何が正しいかではなくて、自分なりに勉強した結果としてこういう結論に至ったからこういう決断にしたのだ!ということを言えるのが大切だということです。こうして自分で決めたのなら、仮に失敗だったとしても諦めがつくというか納得はできると思うのです。恐らく採用側も言っていることが正しいかというよりも、自分で考えているかどうかを重視しているような気がしました。まぁ実際のところはわからないんですけれど。だからこそ自分の判断基準を持つという意味で勉強することは非常に大切だと思うし、実際に私自身は就活でも十分に役立ったと思っています。そして何より、そもそも大学は勉強するところだという大前提を忘れないようにして下さい。高いお金を払っているわけですしね。学費を親に払ってもらっているのであれば尚更だと思います。



とはいえ、確かに勉学(インプット)だけを強調するとイマイチな印象です。でも、それをアウトプットまで持って入った話をすれば相当差をつけられます。就活という観点以外でも、アウトプットする作業は考えの整理にも役立つし、どうしたら相手に読んでもらえるか、理解してもらえるかを考えることにもなります。この視点はどんなビジネスにおいても必要な視点だと思いますので、やっておいてよかったなと思っています。その意味でブログは最高のツールだと思います。現在大学で社会科学系を学んでいる方は是非それを深めてアウトプットしてほしいなと思います。就活はもちろん、自分が生きていく上で必ず役立ちます。



※他の学問(社会科学系以外)はどうなんだろうか。私がやって来なかった学問についてはちょっとわからないのですが、自分で考えてわからないようなら、直接先生に聞いてみればいいと思います。研究者であれば、自分の専門とする学問が社会にどう還元されているのかぐらいは把握しているはずですので。

やっておけばよかったこと


これはやはり旅行や飲み会といったいわゆる大学生っぽいことです。前述の通り、勉学に入り込んだこと自体は後悔していないし、むしろやってよかったと思っています。でも、今思えばバランスが悪かったかなぁと反省もしています。まだ社会人として働いたことがあるわけではないので何とも言えないのですが、現実として飲み会での立ち振る舞いがその後の職場関係を規定していく側面というのはあるような気がします。



そういう現実があるというのをぼんやりと認識しつつも、私自身がそういうことをあんまり好きじゃないというのを理由に見て見ぬふりをしてきたところがあります。しかも大学ではほとんど勉強しかしてこなかったことから話のストックが勉強という真面目な話題しかない。あとは本やアニメの話?飲み会の席でこんな話に需要があるとも思えないので、あんまり喋らない→無口なやつみたいなことになりやしないか…。今はこれが1番不安です(笑)



ということで、話題の共有範囲が広そうな旅行とか飲み会の失敗などをもう少し経験しておくべきだったのかもしれないと思っています。学生なんだから遊び呆けるのも考えものですが、やはりバランスが悪かった…。というわけで、4年間の総括。



勉学と遊びをバランスよくしましょう!



という月並みすぎるアドバイスで締めようと思います。最後までお読みいただきありがとうございました。

一応大学を卒業することだし、自分の4年間を振り返ってみることにする―①


本当はこんなことを書くつもりはなかったのだけれど、以下のエントリをたまたまTLで見かけて、書いてみようと思った次第であります。


18歳から22歳までの4年間で(かろうじて)わたしが学んだこと - インターネットもぐもぐ



とりあえず成績表も受け取って、卒業できるみたいですし。←適当


卒業云々は置いておいて、せっかくブログというストックメディアをやっているわけだし1つの区切りなのは確かだと思うので、ただの感想を始め、「これは良かった、こうしておけばよかった、これは大事だと思う」などなど、私の大学生活で考えたことをまとめておこうと思います。あくまで備忘録ではありますが、これから大学生になる方や現在大学生活真っ只中の方に何か引っかかるところがあれば幸いです。

1年生―入学式の日から入院


私の大学生活はこれなしには語れません。受験終了後の反動なのか、大学入学前の3月下旬頃から体調を崩しまして、4月5日、なんと入学式の当日に入院する羽目に。これから4年間は付き合っていくであろう仲間を探す最重要期間に入院するとか、神を呪いそうでした。しかも入院期間は2週間。私が初めて大学に行った頃には普通に講義は始まってるし、みんな仲良くやっている感じでいわゆるグループ的なものも出来てるし、私は早速ボッチ。一人暮らしも初めてだったので、大学4年間で1番辛かったのは間違いなくこの時期です笑。現在大学に友達が少ないのは病気のせいです。決してコミュ障ではない。と思いたい。



かといってさすがに4年間1人で生きていけるほどメンタルは強くないので、声をかけやすそうな人1人に声をかけて、芋づる式に何とか生きていける範囲の友達を作りました。あんまり社交的でない私には本当に苦労した時期でした。何にしても初っ端でミスると色々大変なので、体調管理はしっかりしましょう。ということを学びました。



1年生の記憶は正直に言ってこれくらいしかないですね。本当に何にもしていなかった。ただただ講義に出席して知らないことを知れるのが純粋に楽しかったし、先生の言っていることがこんなにもわからないなんてことがあるのか!?なんて驚いてたりしていました。先生の説明が下手なのか、言っていることが高度すぎるのかの区別がイマイチついてなかったのですが、漠然と「これが大学かー。」なんて思いつつ、講義を楽しんでいました。あとは1番良い成績を取ることにやたらと意気込んでいましたね。今思えばこんなの自己満でしかないのですが。



バイトに関してはある程度貯金があったのでしなかったし、サークルは運動のために1つ入っていたけれど、(大学生ノリの)飲み会なるものがすごく苦手だったので全て断っていました。まぁ私の目的が運動することだったので別にそれで良かったし、飲み会に行かないからといってグチグチ言ってくるような人達でもなかったので、それはすごく感謝しています(まぁ裏ではあるかもしれませんがw)。



こうしてみると本当になんてことない1年を過ごしていたことを実感します。2ヶ月もある夏休みと春休みに何をしていたか覚えていないってなかなか重症です…。ただ当時も何もしていないということは自分で感じていて、「私は本当にこれでいいのか?」という何か漠然とした危機感を持ち始めていました。1年次は迷走期とでも言えそうです。そして2年生になって、さすがに色々と動き始めました。

2年生―友人とブログを始める


前述の通り1年次に本当に何にもしていなくて、漠然とした危機感を感じていた頃です。危機感はあるものの、何をしたらいいのかもわからなかったので、とりあえず講義で1番良い成績を取ることに注力しました。時間割作成時も、「どの講義が簡単に単位が取れるか」ではなく、「自分は何が面白そうだと思うのか」「この講義とこの講義は関連が深そうだ」「どうやらこの講義は単位取得が難しいらしい」というのを基準に作っていきました。



これ、当たり前だと思うかもしれませんが、周りを見渡すと案外そうではないんですよ。話を聞いていると「この講義は先輩が単位取りやすいって言ってたから」とか「誰々がこの講義取るから俺も取る」とか「出席点が大きいから」みたいな理由で時間割を作成していく人が結構います。他の大学がどうなのかはわかりませんが、どこもそんなに変わらないんじゃないかな。あ、一応言っておくと文系です。私自身はそれなりに勉強したいと思って大学に入ったので、結構驚きでした。本気で勉強しようと思って大学に入った人は、このことを頭の片隅に入れておいたほうがいいかもしれません。人によっては自分と周りとの意識のギャップに心が折れかねないので。こういうこと言うと意識高い系(笑)とか言われちゃうのかな。あ、でも意識高い系って起業とかしちゃう学生のことを言うんでしたっけ。よく知らないですが。



で、周りに流されず(?)とりあえず自分なりの時間割を作成して2年次も講義中心に生活が回っていました。1~2年講義を真面目に聞いていると、それなりに知の土台みたいなものはできるみたいで、知識は増えるし、そこから色々と思案するようになります。ただ、知識を貯めこんでいくと自然とそれを喋りたくなってくるんです。つまり、インプットを続けるとアウトプットもしたくなるんですね。



そこで始めたのが以下のブログです。タイトルがダメ過ぎて恥ずかしいっす…w


社会と戦うサイト



タイトルのダメさは置いておいて。ちょっと眺めて貰えればわかると思いますが、基本的に社会科学系の内容で、高校の教科書に書いてあるようなことを整理して記事にしている感じです。このブログは私含めて友人と3人で開設したものです。ブログというのは基本的に個人でやるものだと思われますが、3人でとりあえずアウトプットしたいよね!となった時に辿り着いたのがたまたまブログだったので、1人がアクセス確認やブログ営業的なことをしつつ、他の2人が記事を書いたら管理者(3人のうちの1人)に送ってアップしてもらう(もちろん管理者も書きます)、みたいな流れで運営していました。



続けるうちにアクセスも増えて、運営していてすごく楽しかったです。これまで講義などのインプットしかなかったものが、自らアウトプットする場を設けたことによって溜まっていたものを聞いてくれる人がアクセスという形で現れ(読者)、「自分のやっていることは間違っていない!」と思えるようになり、より一層インプットにも力が入るという好循環が生まれました。大学生活の中で初めてやりたいことが見つかった時期です。これについては改めて書きますが、別サイトという形で今も継続しています。ブログ運営というのは本当にすごく勉強になるので、大学生のうちにやっておくことをオススメします。この辺は就活のネタにも出来ますし、恐らく他の就活生との差別化も可能です。私もこの話は結構しましたが、割とウケは良かったように思います。

バイトを始める


2年生からの大事な動きはもう1つありまして、それがバイトを始めたことです。1年次は貯金でなんとかしていましたが、さすがにそうも言っていられなくなってきたというのと、純粋に自由に使えるお金が欲しいと思ったことがきっかけです。あとは微妙に就活も意識して。



で、やるなら一気にガッツリ!と考えていたので、ホテルっぽい旅館みたいなところで、短期の住み込みでバイトをしました。接客業は初めてだったので不安でいっぱいでしたが、やってみると案外楽しいものでした。ホテルだからなのかもしれませんが、表情1つ変えて接客するだけで「ありがとう」と言ってくれるし、提供する料理のちょっとした知識を喋ってみたりすることですごく喜んでくれるし、接客も全然悪いもんじゃないなぁなんて思わされました。



本当は短期で辞めるつもりだったのですが、人手が足りないようで続けてくれないか?といってくれたので、週末だけ行く形でなんやかんや就活を始める頃までの1年半くらいは続けました。これも本当にやって良かったです。ちなみに、ホテルでのバイトというのも、就活ウケは良かった気がします。ファミレスなどと違って、お客さんもそれなりにお金を払っているわけで、サービスを求めている雰囲気もあるので気をつかいます。そういうところをうまく伝えられると印象は良いような気がします。まぁ就活を意識しなくとも、純粋に学びは多い仕事でした。結構オススメです。

まとめ


ということで1~2年をまとめると、

・講義中心の生活、迷走期。
・講義での知識の蓄積を期にブログ開始。バイトも開始。前進期。


という感じです。前進期ってもっと良い言い回しがないものか。3年以降はまた改めて書きます。こうやって振り返って見ると成るように成るって感じですかね。ちゃんとした総括は次回にでも。

国民負担率の比較―日本と北欧

金融関係の勉強が一息ついたので、今回は私の卒論関係でいくつかまとめたいと思います。その第1弾は国民負担率の比較にします。

国民負担率とは何か


国民負担率とは、国税地方税を合わせた租税額の国民所得に対する負担率(租税負担率)と、年金など社会保険料の国民に対する負担率(社会保障負担率)を合計したもので、最終的に国民がどの程度負担しているのかを見ることができる指標です。もっと簡単に言ってしまえば、総所得のどれくらいの割合を税金や保険料で持っていかれるのかを表す指標です。具体的に見たほうがわかりやすいので、以下のグラフを中心に話を進めます。

日本と北欧の国民負担率の比較


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上記グラフは財務省HPを参考に作ったものですが、これによれば、北欧諸国の国民負担率はデンマークが67.8%、フィンランドが57.9%、ノルウェーが55.4%、スウェーデンが58.9%と総じて高い水準です。他方の日本は38.5%となっており、北欧諸国と比べると低水準です。



この数値からわかることは、総所得からどれだけの税金や保険料が徴収されているかということです。つまり、北欧諸国は総所得の6割近く(デンマークに至っては7割近く)が税金や保険料として徴収されているということです。逆に言えば、総所得のうち、手元に残る所得(可処分所得)は4割程度しかないということです。他方の日本は、総所得から約4割の徴収で、手元に残る所得(可処分所得)は約6割です。



このように国民負担率だけを見ると、日本の所得の使い道の自由度は北欧諸国より高いように見えます。しかし、実際にはそうとも言い切れない部分があります。というのも、国民負担率は税金や保険料だけの負担の大きさを表すものであって、税・保険料以外の生活に必要な固定費(例えば住宅費、教育費、医療費、介護費など)を織り込んだものではないからです。国民負担率にこうした固定費も加味した値は、国民の実質負担率と呼ぶことができそうです。実際にそういう研究もあります*1。これについては調べきれていないのでまた改めてということで。

租税負担の重視


上記グラフでもう1つ注目したい点があります。それは北欧諸国では租税負担を重視しているということです。北欧諸国は国民負担率のうち、社会保障負担率の占める割合は2割から3割程度、デンマークに関しては国民負担率のほとんどが租税負担で賄われていることがわかります。他方の日本は、租税負担率のほうが高いものの、4割以上は社会保障負担、すなわち社会保険によって賄われています。



そもそも社会保険とは、国民が生活する上でのリスク、例えば疾病、介護、失業、労災などに備えて、事前に保険に入って保険料を拠出することで、リスクが起こった時に現金または現物給付を受け取ることができるという仕組みです。つまり社会保険とは、拠出した分は給付を受けられるが、拠出しなければ給付は受けられないという性質があります。日本の公的年金制度を考えればわかりやすいと思います。日本の公的年金制度は保険料を滞納してしまうと、低年金もしくは無年金に陥ってしまいます。



こうした性質を持つ社会保険の割合が低い北欧諸国の負担構造の意味することは、個々人の支出と権利には基本的に連関がないということを示しています。言い換えると、社会保険のように、拠出した分は給付を受けられるが、拠出しなければ給付は受けられないという関係ではなく、本当に必要としている人には、拠出しているか否かにかかわらず給付するという関係が成り立っています。



日本の具体例でいうと生活保護制度が当てはまります。生活保護を受けようとする時に、「あなたは税金を払っていないから給付を受けることはできません」とは言われません。要するに北欧の社会構造は、金銭的に余裕のある人から余裕のない人へと配分される所得再分配を重視した負担のあり方が重視されている仕組みなのです。

まとめ

・北欧は国民負担率が高い
・日本の国民負担率は北欧と比べて低いが、実質負担率で見ると変わらない?
・北欧は租税負担を重視、再分配的要素が強い


今回は国民の負担に焦点を当ててまとめてみました。ということで次回は、北欧に関する話題で割と有名な受益(主に社会保障)についてまとめたいと思っています。これだけの負担が受け入れられている背景には、それ相応の受益があるというのがキーになります。


参考資料
財務省OECD諸国の国民負担率(対国民所得比)』
http://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/238.htm(閲覧日:2014年2月27日)

消費税25%で世界一幸せな国デンマークの暮らし  角川SSC新書 (角川SSC新書)

消費税25%で世界一幸せな国デンマークの暮らし 角川SSC新書 (角川SSC新書)

*1:井手英策「財政赤字の原因は不十分な支出」『週刊エコノミスト』2012年11月27日号、49頁、「日本と北欧諸国における実質負担率」参照。

『この世でいちばん大事な「カネ」の話』読了―②


読みました。


『この世でいちばん大事な「カネ」の話』読了―① - パンダのぼやき



上記書評の続きです。今回は第3章から。本章は著者が自力である程度稼げるようになってからの話。お金を持ってから、「カネの落とし穴」つまりはギャンブルを知るようになります。

ギャンブルは大人が負け方を学ぶもの

だから思うんだけどギャンブルっていうのは、授業料を払って、大人が負け方を学ぶものじゃないかな。その授業料を「高い」って思うんなら、やらないほうがいい。まして本気で儲けようだなんて思うほうが、まちがい。

人生だってそう。勝つことより、負けることのほうがずっと多いし、負けてあたりまえ。わたしにとってのギャンブルは、そういうときの「しのぎ方」を、型破りの大人たちから学んだところだった。


ギャンブルというのは、そもそもの仕組みとして「親」、つまり主催している経営側が一番儲かるようになっています。そうでなければ経営自体が成り立ちません。ちょっと考えれば当たり前の話なのですが、やる人は絶えない。なぜか?

それは、ギャンブルが本来は「そういうものだとわかっているけど、だまされることを楽しむ」という、大人の粋な遊びだからだと思う。


つまり、ギャンブルというのは稼ぐためのものではなく、ダマされることを楽しむ、勝つか負けるかという緊張感を楽しむものだということです。でも現実は逆で、お金がないからギャンブルで何とかしようと考える。この考え方は危険です。

ギャンブルっていうのは、リスクと魅力が表裏一体で背中あわせになっているものなんだよ。


確かに高揚感という魅力はあるけれど、その分リスクも大きい。頭ではわかっていても、その高揚感によってその場では楽観的になってしまうのかもしれません。

「カネ」とは「人間関係」のこと


ここもすごく大切だと思ったので引用。

お金との接し方は、人との接し方に反映する。
お金って、つまり「人間関係」のことでもあるんだよ。
お金をいつも自分では出さないでいると、友だちとも対等じゃいられなくなっちゃう。でも、出せないときだってあると思うから、そういうときは、友だちに「これこれこういう理由で、今日は出せないんだ」って、正直に言ってみたらいいと思う。


「今日は出せない」という状況の時に、「次な!」と笑って払える関係性をお互いに作って行きたいと思います。


自分の「真ん中」はどこにあるのか


続いて第4章。働くこととお金の関係。



「自分のやりたいことは何なのか?」「なぜ働くのか?」。こうした問いというのは、割と最近出てきたもののような気がします。豊かになったからこそ出てくる問い。はてなブロク界隈でもしばしばみかけます。でも知っての通り、この問いに対する答えは簡単には見つかりません。そこで著者が提案する考え方が「カネ」という視点を持つこと。それが以下。

「カネとストレス」、「カネとやりがい」の真ん中に、自分にとっての「バランス」がいいところを、探す。


本書で出てくる例は以下のような感じ。

・お金はもらえるけれど、ストレスも割と大きい仕事
・ストレスはなさそうだけれど、生活費を稼ぐため、ただ食べるだけの仕事


この2つの間に自分が心地よい場所を探そう!というのが著者の提案です。これに加えてなおイメージがはっきりしないなら、「人に喜ばれる」という視点も加えると良いといいます。



本来であれば「お金ももらえて、ストレスも少なくて、人に喜ばれる仕事」というのが理想だと思うのですが、そんなものは恐らくないのでしょう。また、「人に喜ばれる」という視点は、逆に「人に喜ばれない仕事」ってなんだろうとちょっと考えてしまいました。人に喜ばれなければもはや仕事ではないような気がするので。「喜んでもらえる」というのが、例えば「喜んでもらえるというのが目の前で直接わかる仕事」「目の前で喜んでもらえることはないけれど、大多数に喜んでもらえるであろう仕事」というようにもっと具体的に書かれたほうがわかりやすいかなーと思いました。ただ、働き方を考える上で1つの参考になる提案だと思います。


働けるということが人を「貧しさ」から救う


第5章ではアジアの新興国の状況を持ち出しつつ、働けることの幸せを説いています。

「自分は何をしたいか」を考えるのも、もちろん大切なこと。でもその前に、キミたちに聞いてみたい。
働けることのしあわせ、働く場所があることのありがたさについて、考えてみたことがありますか?


伝えたいことはよくわかっているつもりです。働けることそれ自体が幸せだと1度は考えることは大切だと思います。ただ、敢えて批判的に言えば、この主張をそのまま日本に持ち込むことは危険です。経営者がこれを言い出し、労働者もこれに同意してしまう時、労働条件は悪化しやすい。やはりアジアの新興国と日本の社会状況はぜんぜん違うので、この話を持ち出すのはちょっとどうかなと。とはいえ、著者もダメなときは逃げていいともおっしゃっているので、その辺は心得ているようでよかったです。

まとめ


社会人になる前のタイミングで読めて良かったなぁと思っています。本書でも触れられていますが、日本ではなぜかお金についてはあんまり話すべきではないというか、タブー視されている雰囲気があります。でも、お金について真剣に考えることはゲスいとかそういうことではなく、本当に大切だと思います。生きている限り必ずついて回るものですからね。それについて語ろうとしないのはやっぱり不健全な気がします。本当に色々と考えさせられました。またどこかのタイミングで再読したいと思います。